About
I like knitting and contemporary art,sound art,electronic music,
Raymond Pettibon, No Title (Wave Group), 2004
The Raymond Pettibon “feng shui water cure.” If you can’t get a Pettibon I am sorry, but images of moving water and or fish will do the trick. Even those roll out scrolls of fish swiming that you can get for a few dollars in Chinatown, they work just as well.
大友:要するに、自分で好きな音楽を選ぶということは、帰属する社会をも自分で選ぶということにつながっていくと思うんですよ。だからはっきり音楽のジャンルがいえないというのは、どこか明確な社会に属するのではない生き方を選択してることでもあると思うんです。
大友良英 カヒミカリィ 対談 「そろそろスーツもありかもしれない」
例えば柔らかい知を持っていると自分では思っている人たち(たとえば正剛さん・新一さんについていきさえすれば一生大丈夫だと安心しきっている人たちとか)は、硬直する知同士の対話とかを楽しめたりはしません(例えばアイゼンマンっだっせーで終わってしまうだけ)、、、それは彼らがいかにアウェイの場でいろいろなことを体験してこなかったか、そこで絶望とかあきれはてながら考えることをしていなかったかそれはそこで即座にあきらかになります
例えばそういう人たちが何かを企画する・発信するとなったときの人選やキュレーションでもそれは明らかになってきます ・・・つまり「考える」「その場に来た人になんらかのエフェクト・きっかけを与える」「何よりも自分自身が実験台」などについて自分で考えてきたことが実際にはなかったのだ・自分で考えてる=生きていると思っていた自分の心臓は実は外部装置で動いていたのだということがはっきりしてしまう
わかってるよなーおれたちみたいな人間同士からの対話から得られるものなど先細りなものでしかない、ということに「知の巨人たち」がどれだけ気づけてるかははなはだ疑問です
現在はまたいろんなシンポジウムが増えてきて、そこでどうエイリアン同士が対話できるかは、まだわかりません、しかしそこで例えば話されているテーマにまったく関心がないけれどその場に「潜入」している何者かに何らかの意外な気づきを喚起することができない豪知など新興宗教にしか過ぎないと思います
Give Peace A Chance-John Lennon